前の記事よりつづき
各水組合の想いが結集して完成した「佐貫頭首工」
市の堀用水の水組合をはじめ、同じ鬼怒川から取水していた「草川用水」(氏家)・「逆木・根川用水」(上河内)などの各用水組合が同盟を結び、立ち上がった「鬼怒川農業水利改良促進同盟会」(のちの「鬼怒川中部土地改良区連合」)。
「鬼怒川からの堰を統合し、逆木付近に永久的な堰堤を造ろう」という計画のもと、昭和23(1948)年には農水省の視察や実地測量などの調査が行われました。
調査・検討の結果、逆木付近から取水するより、さらに上流の佐貫地内(塩谷町)より取水したほうが容易だということ、さらに風見へ通水して、発電所の設置なども考え、事業計画を拡大して国営事業として行う方針になることなどが決定しました。
その後、地元民からの反対陳情などの意見が出ましたが、説明会や懇談会などが開かれ、昭和31(1956)年1月、念願かなって、計画は国営事業として採択されました。
国営事業となった「鬼怒川国営用水事業計画」は、翌年の昭和32(1957)年に着工、佐貫地内に建設された佐貫頭首工と9ヶ所の用水堰を結ぶ21.5kmの幹線水路が建設され、昭和41(1966)年に完成しました。
市の堀用水の取入口「佐貫頭首工」を見てきた
さて、長々と書いてきた市の堀用水の変遷の話はひとまずここで終わりにし、ここからはお得意(?)の探訪形式で、塩谷町にある佐貫頭首工から市の堀用水を下流まで見ていくことにしましょう。
“さぬき”と聞くと「讃岐うどん」をイメージしてしまいますが、ここは塩谷町佐貫(さぬき)という地名です。ちょうど鬼怒川と、大谷川が合流する地点の下流あたりに頭首工が設けられています。
右に見える岩山の側面には、「佐貫観音」と呼ばれる大日如来磨崖仏が彫ってあり、これは弘法大師一夜の作と伝えられています。大正15年2月には国の文化財にも指定された史跡です。
※佐貫観音についてはこちらの記事を参照↓
○ひばらさんの栃木探訪
「第69回 日本一コレクション4〜石仏編〜 の巻(塩谷町・佐貫観音)」
こちらが「佐貫頭首工」。2021年現在も現役です。
「頭首工」というのは、ダムの一種で、川などから農業のために必要な水を水路に取り入れるための施設をいいます。
佐貫頭首工の横にある管理事務所「佐貫ダム管理事務所」でダムカードがもらえます。
新型コロナの影響で長らく配布を一時中止をしていましたが、10月から配布を再開しているようです。
ちなみにダムカードは郵送不可です。現地に行かないと手に入りません。
(※詳細は県ホームページを参照のこと)
ここに立てられている案内板には、佐野頭首工の成り立ちについて、鬼怒川周辺にある用水の沿革も交えて、事業の詳しい内容などがまとめられています。
「佐貫頭首工(堰)」が建設される以前は、鬼怒川の川岸に杭や蛇篭などで造られた9ヶ所の用水堰があって、かんがい用水等として役立ってきました。
鬼怒川の左岸:大宮用水堰、赤沼用水堰、市の堀用水堰、草川用水堰、釜ヶ渕用水堰
鬼怒川の右岸:高間木用水堰、逆木用水堰、根川用水堰、東芦沼用水堰
(案内板「佐貫頭首工と受益地域の概要」より引用)
佐貫頭首工から取水された水は幹線導水路を通り、風見発電所まで運ばれ、そこから左岸に「東幹線用水路」(市の堀・草川用水方面)、右岸に「西幹線用水路」(逆木・根川用水方面)とに分かれます。
ここで、発電所までの水路が点線になっているのが分かりますか?
これは、この幹線導水路というのが「暗渠(あんきょ)」だから。
「暗渠」は、「ブラタモリ」が好きな方はお分かりかと思いますが、地下を通る水路のことです。つまり、鬼怒川から取り入れた水は、しばらくの間、地下の水路を流れていくのです。
さらに、西幹線用水路にいたっては、鬼怒川の地下をサイフォンでくぐります。
こちらの構造にも注目です。
※逆木サイフォンについてはこちらの記事を参照↓
○ひばらさんの栃木探訪
「第1331回 上河内緑水公園のハナメド洞門と逆木サイフォンと川の一里塚」
こちらが、頭首工の横にある取入口。
ここから取り入れた鬼怒川の水は、導水路を通り、
このように、地下に掘られた導水路を通り、運ばれていきます。
すごくないですか!?
この岩山の地下に導水路を通そうと思ったことが!(←そこかい)
佐貫頭首工の近くには「鬼怒川中部国営・県営竣工記念碑」が建っています。
さて、地下に潜ってしまったこの市の堀用水の幹線導水路ですが、風見発電所までしばらく顔を出さないのかと思いきや、Googleマップを見てみると・・
途中で地上に出ているところもある!
ということで、次回はこの幹線導水路を追っていきます。
(つづく)
○佐貫頭首工
栃木県塩谷郡塩谷町佐貫
・「市の堀〜市の堀用水沿革史」(昭和53年発行・石山憲三編)