高根沢町には3か所の城跡があります。
その3つは、
宝積寺エリアの宝積寺駅北側にある「阿久津城跡」、
上高根沢エリアにある「高根沢城跡」、
桑窪エリアにある「桑久保(桑窪)城跡」です。
今回は、最も残りの良い桑窪城跡から先にご紹介したいと思います。
高根沢町の右下のほうにある「桑窪城跡」
桑窪城跡の場所は、高根沢町桑窪(くわくぼ)にあります。
「道の駅たかねざわ 元気あっぷむら」から芳賀町方面へ南下すること約5分、
徳明寺というお寺を過ぎたところに、道路沿いに案内板が立っています。
畑の間の細道を上がっていくと、キレイな花壇が。
その先の小高い場所に看板と石碑が立っています。
周りにはテーブルが整備されており、ちょっとしたピクニックエリアになっています。
木には巣箱があったり、
なぜかブランコもある・・^^;
この辺りは「くわくぼの花と緑の里づくり」として整備されているところらしい。
終わりかけでしたが、桜も咲いてました。
隠れた花見スポットだったので、来年は満開の頃、来てみよう。
「史跡 桑窪城跡」の石碑と横に、詳しい案内板もあります。
築城は鎌倉時代初期の建久年間(1190〜1199)頃。
桑窪修理助秀春か、矢口(谷口)筑前守が築いたとされています。
稲毛田城(芳賀町)の支城と伝わり、
城主の谷口氏は在地の土豪※で、戦国時代末には宇都宮氏に属し、
桑窪城は、那須氏に対抗する最前線の拠点だったといわれています。
※その土地の豪族。地方の勢力家。
喜連川丘陵の南端部であるこの場所は、
城の北側の尾根続きの部分を堀で遮断して、四方に堀を巡らし、
城の東西は自然の崖となっています。
残っているのは、南側と北側にある虎口、
四方を土塁と堀に囲まれた主郭、北側の虎口には櫓台?とされる高台など。
が、ここの特長はなんといっても、この耕されている主郭でありましょう。
農耕機の跡がある^^;
土がふかふかしているので、ここは歩けません。
なので、四方を囲む土塁の部分をぐるっと1周してみました。
堀のような跡が確認できますね。
櫓台?と思われるところに到着。
こちらには比較的新しめの祠が祭られていました。
しかしこの城跡・・畑として利用されているのかなぁ?
ただ耕してあるだけなのかな?
何かが育つのか、また違う季節に確認しにきたいと思います。
○桑久保(桑窪)城跡
栃木県塩谷郡高根沢町桑窪