ひきつづき、たかねざわ史跡巡り〜お城編。
(1)桑窪城跡はこちら↓
(2)阿久津城跡はこちら↓
3つめの城跡は、上高根沢エリアにある「高根沢城跡」です。
たぶん高根沢氏が建てた謎の城「高根沢城」
高根沢城跡は、高根沢町の上高根沢エリア、
安住神社の赤い鳥居が見えるところにあります。
宝積寺台地の東縁に位置し、もう少し南に行くと芳賀町境となります。
山の手前にひっそりと、石碑が立っています。
「史跡 高根沢城址」の石碑。
ほかには特に案内板などはありません。
奥まで進めるようになっていますが、進んでみると、すぐ雑木林。
検索して出てきた他の方の城めぐりブログでは、
このまま進むと、山の上に浅間神社の祠があるというのですが、詳細は不明です。
特になにも書いてないので詳細は分かりませんが、
道路沿いにある2本の石柱は、先にある神社を指し示しているものかもしれません。
テストコースの建設により破壊されてしまった城跡
高根沢城は、先に紹介してきた2つのお城と比べても不明点が多く、
史料にも、高根沢城のことが「謎の城」として紹介されています。
謎の城・高根沢城
権現山城ともいい、高根沢兼吉が築いたとされる。兼吉は観応二年(一三五一)に討死しているが、この時期、本当に城があったかどうかは疑問である。戦国時代末期には宇都宮氏の支城として高根沢氏が守っていたと考えられ、現在残る遺構はこのころの姿と考えられる。なお高根沢氏は宇都宮氏の一族とされるが、詳細は明らかではない。高根沢町図書館デジタルアーカイブシステムADEAC「高根沢町史 通史編Ⅰ 第三編 中世 第四章 戦国時代 第三節 高根沢地域の城館 二 高根沢の城館跡」より
「本当に城があったかどうか疑問」という・・^^;
存在が謎。
それと城主だったという「高根沢氏」。
高根沢氏の系図などが発見されていないために、
どのような系譜をたどった家柄なのかよく分かっていない人物だそうです。
「高根沢町の文化財」という史料によると、
上高根沢の安住神社の記録に、
鎌倉時代の正嘉2戊午年2月(1258)に高根沢胤吉が奉納したという神鏡があるそうで、
この高根沢胤吉という人が、高根沢町城第1代城主ではないかとも書いてあります。
どちらの説も築城は「高根沢氏」というんですから、
なにかしら高根沢という地名の由来には関係しているのかなと思います。
山に広がる雑木林。
あまり整備などはされてない様子です。
南北に細延びるその形状からも、普通の領主の居城とは考えにくく、
一種の駐屯地または物資の集積地などというような見解もあるそうです。
とても中に進めそうにはないので、ここまでで探索を断念しました。
この山の先は、史料によると昭和30年頃から各地でおこった開田事業ブームで、
水田と整備されてしまったとのこと。
さらにその後は、
城は東側に川の流れる台地上にあり、川に面して崖となっている。ただし、城の遺構は昭和三〇年代の開墾と昭和五三年のテストコース建設により、ほとんど破壊されている。
・・ほどんど破壊されている^^;
ちなみにこの“テストコース”とは、
本田技術研究所のテストコースでした。
栃木プルービンググラウンド(栃木PG)と施設で、
自動車の耐久性などを実験するためのコースだそうです。
昭和53年にテストコースが建設されることになり、
この辺りの発掘調査が行われたそうですが、
その時の出土品は縄文中期の縄文土器や石器、竪穴式住居跡などが発見されたそうです。
高根沢城跡も、阿久津城と同じく、
新しい建設物の開発により、破壊されてしまった運命の城跡なんですね。
ということで、「たかねざわ史跡巡り〜お城編」いかがでしたか。
なかなか形が残っている史跡が少ないですが、
そこにいろいろな想いを馳せて巡ってみてはいかがでしょうか。
参照:
「高根沢町史 通史編Ⅰ」(電子書籍版)
「高根沢町の文化財」(昭和62年発行・高根沢町教育委員会発行)
元気あっぷむらがオープンした当初、
私の記憶が確かならば「高根沢城温泉」と名乗っていた、
あのネーミングはいったいなんだったのか・・。
そういえば、外観がお城っぽいのはそのせい・・・かもね!?
○高根沢城跡
栃木県塩谷郡高根沢町上高根沢2803