高根沢町歴史民俗資料館では現在、企画展「宇津救命丸の歩み」が開催中です。
「宇津救命丸」発祥の地・高根沢
小児薬として知られる「宇津救命丸(うづきゅうめいがん)」は、町内の名主であった宇津家に伝わる家伝薬として高根沢町内(上高根沢)で誕生しました。
↑宇津救命丸といえば、このパッケージ
宇津救命丸は「赤ちゃんの夜泣き・かんむしのクスリ」として、CMも放映されていたことで、おなじみの方も多いはず?
※ちなみに「かんむし」ってなんだろう?と小さい頃は思ってましたが、調べてみたら「かんのむし」のことで、今でいう「ギャン泣き」とことです。
現在はこのようなキャラクター入りのパッケージの薬を、小児薬コーナーで見る方も多いのでは。
今回の記念スタンプ↑に採用されてました。「メイちゃん」とういう名前らしいです。
(毎回手彫りの記念スタンプ。通年で集めると記念品がもらえます)
高根沢工場敷地内には、江戸時代から残る宇津薬師堂(町指定文化財)や、薬を調合していた宇津誠意軒(せいいけん)、宇津史料館があります(※現在は非公開)。
以前、まだ施設見学を行っていた際、見学させていただいたことがありました。
明治時代のはじめまでは、その処方は「一子相伝」として宇津家の当主からその長兄だけに口伝えで教えらていたそうです。
昔は製薬中は誰も近寄る事を禁じられていた秘伝の「宇津救命丸」でしたが、令和時代の今ではYouTubeで製造工程を公開されています。
時代だね〜(でも映像は微妙に古い^^;)
私が中学生の頃、職場体験で薬の包装を体験させていただいたこともありました。
企画展「宇津救命丸の歩み」
今回の企画展は、江戸・明治・大正時代の宇津救命丸及び宇津家の歴史を知ることができる貴重な資料が展示されています。
宇津家の歩みが展示されています。
初代の宇津権右衛門(ごんえもん)は、宇都宮家の家臣で、宇都宮氏おかかえの御殿医だったようです。
宇都宮氏の滅亡とともに高根沢にやってきて、この地で人々に施薬を配ったのが始まりとされています。
ちなみに、本当は「うつ」と読むのが正しいそうですが、昭和になって、TVCMなどを流すようになってから「聞き取りづらい」という理由で、改名したみたいです。
へぇ~
こちらは写真で残されている工場内の様子。
復元された帳場と法被。
後ろが宇津家だけに「うずまき」マークだ!
現存する木製看板なども展示されています。
「金匱救命丸」とありますが、昔、救命丸は“金色”の粒だったようですが、
昭和の戦争の頃に金使用禁止令が出て、それから現在の銀色になったそうです。
昔から最近まで使用されている宣伝チラシやノベルティなども展示されていました。
宇津救命丸が「発祥の地」高根沢の工場に今年から本社移転
今年4月、東京にあった本社が、発祥の地・高根沢町に拠点が戻った宇津救命丸。
創業地に「原点回帰」するとともに、地域との縁感じての移転決定だったそう。
新型コロナの影響で、しばらく施設見学ができませんでしたが、もしかしたら今回を機に再開したり、伝統的なお祭り「一万燈祭」も復活してくれるかも・・?
と、町民として淡い期待をいだいております。^^
企画展は、6/25(日)まで。入場は無料です。
高根沢に残る貴重な歴史資料にふれてみては。
○高根沢町歴史民俗資料館
企画展「宇津救命丸の歩み」
期間/2023年6月3日(土)~6月25日(日)
休館日/毎週月曜日
入場無料
栃木県塩谷郡高根沢町石末1785
公式サイト